子供を連れて日本に帰る場合のあれこれ(特にビザ、マレーシアIC関係)を、お友達のクミコさんが丁寧に取材してレポートしてくださっています。
〜 On the wings of the wind 〜
http://blog.goo.ne.jp/kumikomy/e/3c40cf60ec3560d404360cb2c493b7b3
同じサイトで転校届け、パスポートに関する話題はここ。
http://blog.goo.ne.jp/kumikomy/e/aa3e71d9c434ca700aa8926f3c460db9
2008年03月08日
2007年06月04日
役員便り
最近はまっているミクシィの中の参加グループで「お料理レシピ」というのがある。
料理の達人たちが教えあうそのコーナーは、いつもバラエティに富んでいてびっくりする。
その中にあった炊飯器で作る簡単チーズケーキ、ほんとに簡単で超おいしい!
これらのレシピ、まじゃメールの中で少しずつ紹介していこうと思う。 (N・T)
長女は ピアノを習いはじめてもう10年。
2・3ヶ月前はもうやめるといっていた。実技のテスト曲がうまく弾けなかったのだろう。
私もそう、じゃあ先生にもそういっておくといった。最近 次のグレードのテストのはなしをしている、どうやら、友達にピアノやめるといったら、今やめたらもったいないといわれ、また気を変えたらしい。友達からの意見はすんなり聞けるんだよなあ〜。 (C・S)
朝、会社のリフトに黒のスーツで髪をタイトに纏めたおばさんが5人乗り込んできた。
うちの会社の女性スタッフは多くが黒のスーツ。
でもこのおばさんたちは化粧が濃い。新しく入居した化粧品会社の階で降りて行った。今日は販売会議でもあるんだろうな。
タバコ会社の人たちはマレーシアなまりを隠した英語でちょっとお高くとまっている。
法律事務所の女の子たちはイナカッペだ。私は、くたびれたおばさん秘書かな。 (Y・Y)
料理の達人たちが教えあうそのコーナーは、いつもバラエティに富んでいてびっくりする。
その中にあった炊飯器で作る簡単チーズケーキ、ほんとに簡単で超おいしい!
これらのレシピ、まじゃメールの中で少しずつ紹介していこうと思う。 (N・T)
長女は ピアノを習いはじめてもう10年。
2・3ヶ月前はもうやめるといっていた。実技のテスト曲がうまく弾けなかったのだろう。
私もそう、じゃあ先生にもそういっておくといった。最近 次のグレードのテストのはなしをしている、どうやら、友達にピアノやめるといったら、今やめたらもったいないといわれ、また気を変えたらしい。友達からの意見はすんなり聞けるんだよなあ〜。 (C・S)
朝、会社のリフトに黒のスーツで髪をタイトに纏めたおばさんが5人乗り込んできた。
うちの会社の女性スタッフは多くが黒のスーツ。
でもこのおばさんたちは化粧が濃い。新しく入居した化粧品会社の階で降りて行った。今日は販売会議でもあるんだろうな。
タバコ会社の人たちはマレーシアなまりを隠した英語でちょっとお高くとまっている。
法律事務所の女の子たちはイナカッペだ。私は、くたびれたおばさん秘書かな。 (Y・Y)
役員便り
先日、ふと昔のクラスメート達が今どうしているか気になって、ネットで名前を検索してみた。
中学時代に気になっていた男の子。
あの物静かな男の子はどうなっているのかなあ、と軽い気持ちで調べてみると、何とアニメ監督になっていた!びっくり! 結構有名みたい。しかもインタビューされている時の写真が昔と全然変わってないじゃん(キャー!)。 こういう再会もあるんだなと写真を見ながらしみじみ思った。(N・T)
今晩なに食べよう?と悩む毎日。
カレーもあきてきた。私の次女(もともと料理好き)は最近イタリアン料理に興味があり、作り方をネットで探し、ちょこちょこと作ってくれる。
私(もともと料理ぎらい)はもう一人家族に料理人がふえたことがうれしくて、るんるん気分で食材をさがしにいき、横でお手伝いをする。
ちょっとこのごろ台所にたつのがうれしい・・・。(C・S)
お昼の後の楽しみは、カットフルーツ。
果肉が淡いオレンジ色のメロンをサクッとかじるのがすき。
一番分厚く切ってあるお店で買って、オフィスに持って帰る。
道を渡るのに車の列が途切れるのを待っていたら何かボタッと足元に落ちた。
きゃー、私のメロン!袋を逆さに持っていたのね。
お店に引き返すのはめんどくさい。
止まっていた車の人が見ていたかは知らないけど、そ知らぬ顔で道を渡った。ああ、悲しい。 (Y・Y)
中学時代に気になっていた男の子。
あの物静かな男の子はどうなっているのかなあ、と軽い気持ちで調べてみると、何とアニメ監督になっていた!びっくり! 結構有名みたい。しかもインタビューされている時の写真が昔と全然変わってないじゃん(キャー!)。 こういう再会もあるんだなと写真を見ながらしみじみ思った。(N・T)
今晩なに食べよう?と悩む毎日。
カレーもあきてきた。私の次女(もともと料理好き)は最近イタリアン料理に興味があり、作り方をネットで探し、ちょこちょこと作ってくれる。
私(もともと料理ぎらい)はもう一人家族に料理人がふえたことがうれしくて、るんるん気分で食材をさがしにいき、横でお手伝いをする。
ちょっとこのごろ台所にたつのがうれしい・・・。(C・S)
お昼の後の楽しみは、カットフルーツ。
果肉が淡いオレンジ色のメロンをサクッとかじるのがすき。
一番分厚く切ってあるお店で買って、オフィスに持って帰る。
道を渡るのに車の列が途切れるのを待っていたら何かボタッと足元に落ちた。
きゃー、私のメロン!袋を逆さに持っていたのね。
お店に引き返すのはめんどくさい。
止まっていた車の人が見ていたかは知らないけど、そ知らぬ顔で道を渡った。ああ、悲しい。 (Y・Y)
警察、消防車、残すは救急車!
マレーシアに滞在して早くも7年。
日本に居たら到底経験しようのない出来事が我が身に。。。
今回は、同じくマレーシアで生活する皆さんへそのお話をしたいと思う。
私は、主人の家族と同居。
その日は、主人は仕事で不在、義母を一人留守番に残し買物に出掛け、帰ってくると我が家の周りが何やら騒がしい。
いつも閉じているはずの門が全開、玄関も観音開きに開けっ放し、家の前には数台の車、しかもバンには警察のロゴが。。。(え、警察!???)
(まさか、母が一人で留守番しているところに強盗でも侵入か!)と真っ青になりながら家に入ると私服の警官と思われる人が7.8人、私のPCの当たりの書類の山(ゴミの山)やら鞄の中をあさっている。何故か近所のおばちゃんまで居る。
恐る恐る「すみません、人のうちで何を?」と聞くが無視される。(『太陽にほえろ!』『Gメン75』を見て育った私をバカにするな!)と思い「家宅捜査するなら礼状を見せて!」と言い張るが、無視して家のものを片っ端からチェックしている。
「何を調べているのか、教えて下さい。ここは私の家です。令状をみせてください。」と5回は繰り返しただろうか?
何故かいる近所のおばちゃんに、「あんたは黙っていなさい。」と首ねっこを掴まれ後ろに引っ張られが負けてはいられない!面倒くさそうに「説明してやれ!」という隊長であろう警官の指示でインディアンの女性警官より「この辺で闇賭博をしているという通報があったのよ。」と説明されるものの納得がいくわけがない。
「誰が通報したのか?」という質問に「それは教えなれない。」という。
「どんな闇賭博なのか?住所は?」と迫る私が逆に鞄の中身、パスポートを調べられる羽目に。。。
「なんだ、日本人か!帰る!」の一言で一行は誤りもせずに去っていく。
通報というのは、どうやら具体的ではなくこの辺のきれいな家との通報だけだったらしい。
たまたま近年、改装した我が家が家宅捜査を受ける羽目に。
しかも令状も身分証明書の提示もなしに。名誉毀損で訴えてやる!と翌日、主人が各所に電話したが結局どうにもならず今に至る。
後から母に聞いたところ、彼らは身分証明もみせるどころか、家の周りを7.8人ぐらいで取り囲んで「すぐにドアを開けろ!直ちにあけないとドアを壊すぞ!」と武器を構え、その時はすでに裏の塀を乗り越えて数人の警官が敷地内に侵入していたらしい。
本当の警察だったから良いものの警察を装っての物取りだったら今頃、義母も私もこの世にいないかもしれない。
母はそれから恐怖で暫く眠れず、私は怒りで暫く眠れず。の日々。
そんな眠れぬ夜が数日続き、ある日の夜中の12時をまわったころだろうか、家のチャイムが。。。
こんな夜中に悪戯か。と思いながら無視を続けていたが執拗にチャイムが続く。
さらに棒かなにかで門をガンガン!とたたくので仕方なくそっと玄関をあけるとインド人の親子を口をパクパクと何か叫んでいる。
(なんなんだ!)と思う間なく自分の頭上から爆竹のような爆発音と火が!なんと火事だったのだ!そう我が家が!!!
屋根から火が、煙が。。。
寝ている主人と母を叫びまくってたたき起こし、まずは避難。
と思いながらも箪笥貯金が気になり家の中に戻る私、貴重品が気になり家に戻る義母。
もっと激しい火事だったらここでも義母も私も、死んでいたかもしれない。
数分後に消防車が来て大惨事には至らなかったものの、改装して間もない我が家の居間は、消火活動によりびしゃびしゃ。
屋根裏の電線が出火原因だった為、屋根を壊しての消火活動により屋根も一部破壊。
そして、極めつけは全焼の場合しか保険はおりないとかで保険対象にもならず。
短期間で二度もこんなに目に遭遇した私は、久しぶりに日本が恋しく思われた。
たて続けに警察に消防車。そしてまだ経験したことがないのが唯一救急車である。
これだけはお世話になりたくないものだ!
自分に全く非がないだけに気をつけようもない出来事だったが、こんなことが日常で起こり得るのがマレーシア。
こんな経験はしないに越したことはない。
皆さんには、起こりませんように。。。
日本に居たら到底経験しようのない出来事が我が身に。。。
今回は、同じくマレーシアで生活する皆さんへそのお話をしたいと思う。
私は、主人の家族と同居。
その日は、主人は仕事で不在、義母を一人留守番に残し買物に出掛け、帰ってくると我が家の周りが何やら騒がしい。
いつも閉じているはずの門が全開、玄関も観音開きに開けっ放し、家の前には数台の車、しかもバンには警察のロゴが。。。(え、警察!???)
(まさか、母が一人で留守番しているところに強盗でも侵入か!)と真っ青になりながら家に入ると私服の警官と思われる人が7.8人、私のPCの当たりの書類の山(ゴミの山)やら鞄の中をあさっている。何故か近所のおばちゃんまで居る。
恐る恐る「すみません、人のうちで何を?」と聞くが無視される。(『太陽にほえろ!』『Gメン75』を見て育った私をバカにするな!)と思い「家宅捜査するなら礼状を見せて!」と言い張るが、無視して家のものを片っ端からチェックしている。
「何を調べているのか、教えて下さい。ここは私の家です。令状をみせてください。」と5回は繰り返しただろうか?
何故かいる近所のおばちゃんに、「あんたは黙っていなさい。」と首ねっこを掴まれ後ろに引っ張られが負けてはいられない!面倒くさそうに「説明してやれ!」という隊長であろう警官の指示でインディアンの女性警官より「この辺で闇賭博をしているという通報があったのよ。」と説明されるものの納得がいくわけがない。
「誰が通報したのか?」という質問に「それは教えなれない。」という。
「どんな闇賭博なのか?住所は?」と迫る私が逆に鞄の中身、パスポートを調べられる羽目に。。。
「なんだ、日本人か!帰る!」の一言で一行は誤りもせずに去っていく。
通報というのは、どうやら具体的ではなくこの辺のきれいな家との通報だけだったらしい。
たまたま近年、改装した我が家が家宅捜査を受ける羽目に。
しかも令状も身分証明書の提示もなしに。名誉毀損で訴えてやる!と翌日、主人が各所に電話したが結局どうにもならず今に至る。
後から母に聞いたところ、彼らは身分証明もみせるどころか、家の周りを7.8人ぐらいで取り囲んで「すぐにドアを開けろ!直ちにあけないとドアを壊すぞ!」と武器を構え、その時はすでに裏の塀を乗り越えて数人の警官が敷地内に侵入していたらしい。
本当の警察だったから良いものの警察を装っての物取りだったら今頃、義母も私もこの世にいないかもしれない。
母はそれから恐怖で暫く眠れず、私は怒りで暫く眠れず。の日々。
そんな眠れぬ夜が数日続き、ある日の夜中の12時をまわったころだろうか、家のチャイムが。。。
こんな夜中に悪戯か。と思いながら無視を続けていたが執拗にチャイムが続く。
さらに棒かなにかで門をガンガン!とたたくので仕方なくそっと玄関をあけるとインド人の親子を口をパクパクと何か叫んでいる。
(なんなんだ!)と思う間なく自分の頭上から爆竹のような爆発音と火が!なんと火事だったのだ!そう我が家が!!!
屋根から火が、煙が。。。
寝ている主人と母を叫びまくってたたき起こし、まずは避難。
と思いながらも箪笥貯金が気になり家の中に戻る私、貴重品が気になり家に戻る義母。
もっと激しい火事だったらここでも義母も私も、死んでいたかもしれない。
数分後に消防車が来て大惨事には至らなかったものの、改装して間もない我が家の居間は、消火活動によりびしゃびしゃ。
屋根裏の電線が出火原因だった為、屋根を壊しての消火活動により屋根も一部破壊。
そして、極めつけは全焼の場合しか保険はおりないとかで保険対象にもならず。
短期間で二度もこんなに目に遭遇した私は、久しぶりに日本が恋しく思われた。
たて続けに警察に消防車。そしてまだ経験したことがないのが唯一救急車である。
これだけはお世話になりたくないものだ!
自分に全く非がないだけに気をつけようもない出来事だったが、こんなことが日常で起こり得るのがマレーシア。
こんな経験はしないに越したことはない。
皆さんには、起こりませんように。。。
マレーシア永住権取得 最新情報
Sさん(取得済み)の場合
私の近所にマレー系と結婚した日本人女性がいるのですが、この方は在馬17年後に永住権を申請し、実際の申請は私より遅かったものの、申請後1年くらいで取得しました。
ご主人いわく「特別なことは何もしていない。」とのことなので、どういう基準で取得が早くなったり遅くなったりするのかはわかりませんが、
私の場合は、永住権の申請から何ヶ月か後に管轄内の警察署に行くよう連絡があり、警察にて面接を受けました。
イミグレーションから何の音沙汰もなく1年ほどたって問い合わせてみたら、「現在は何年も前に申請されたものを処理しているので、あなたの番はずっと後になります。」との事でした。
その後、定期的に処理の進展を聞く手紙を出したり、直接どうなっているのか聞きに行ったりしていたところ、申請5年後に永住権が取得できました。
Tさん(申請済み)の場合
Sさんの体験を聞いて、私も今回イミグレに行った時にコミッショナーに尋ねてみました。
彼の意見は、
@近くのバライポリス局に行き、アピールする。
A管轄のイミグレにレターを出す。ということでした。
早速主人がコミッショナーにレターを書いてもらい、イミグレに持参すると、私たちの場合はプトラジャヤに持っていきなさい、と言いました。
次の日、主人は一人でプトラジャヤに出かけてレターを渡しアピールしたところ、受付の人から、アピールがある方が、本当にマレーシアに住みたいという意思表示であると受け止められ、PRが取得し易い、と言われたそうです。
主人は1ヶ月後に再度アピールに行くと言っています。
アピールレターの書き方については、私がコミッショナーが書き上げたものを保管していますので、参考にされたい方は連絡下さい。
役員便り
パートで仕事を始めた。オフィスはマレー人ばかりで最初は緊張。
でも皆とてもやさしく明るいのですぐに打ち解けた。
しかし受付は大変。毎日いろんな国の人が押しかける。
金髪を見るとスタッフは「お願いね」って呼ぶけど、
私だって逃げたいのよ−!(N・T)
7回の介護勉強会に参加して、気になってしまうのがわが身である。寝たきりにはなりたくないなあとか考えてしまう。
床ずれもいやだ。やはり、今からでもエクササイズをし、筋肉をきたえて、身体を強くしておく必要がある・・・と考えているのだが実行にすぐうつさないのが私・・・
次の役員だよりまでに何かを始めなければ!! (C・S)
裏の空き地に囲いができたって。へー。
塀とは建てられるものなんです。ある朝、コンドの駐車場へ行くと隣のビジネスセンターが丸見えで風通しもいい。
まあ、夜中のうちに塀をきれいに取り払ったのね、と思いきや、実は根こそぎ倒れて舗装道路の出来上がりなのでした。
塀との間の空き地にバナナの木を植えて毎日世話していたインド系のおじさんは、下敷きになったバナナの葉っぱを眺め、物言わずにたたずんでいました。(Y・Y)
でも皆とてもやさしく明るいのですぐに打ち解けた。
しかし受付は大変。毎日いろんな国の人が押しかける。
金髪を見るとスタッフは「お願いね」って呼ぶけど、
私だって逃げたいのよ−!(N・T)
7回の介護勉強会に参加して、気になってしまうのがわが身である。寝たきりにはなりたくないなあとか考えてしまう。
床ずれもいやだ。やはり、今からでもエクササイズをし、筋肉をきたえて、身体を強くしておく必要がある・・・と考えているのだが実行にすぐうつさないのが私・・・
次の役員だよりまでに何かを始めなければ!! (C・S)
裏の空き地に囲いができたって。へー。
塀とは建てられるものなんです。ある朝、コンドの駐車場へ行くと隣のビジネスセンターが丸見えで風通しもいい。
まあ、夜中のうちに塀をきれいに取り払ったのね、と思いきや、実は根こそぎ倒れて舗装道路の出来上がりなのでした。
塀との間の空き地にバナナの木を植えて毎日世話していたインド系のおじさんは、下敷きになったバナナの葉っぱを眺め、物言わずにたたずんでいました。(Y・Y)
役員便り
KL日本人会新年会の出店で、子供達が釣った金魚。
去年はすぐに死んでしまったので、今年は少し慎重に。
金魚は、えさをやる人の顔は覚えるらしく、尾っぽを振って、口をパクパクしながら寄ってる仕草が可愛らしい。
生き物を幼い頃に飼うのと、大人になって飼うのとは、飼い方に違いがあるなあ、と実感している今日この頃だ。(N・T)
青野菜がきらいな次女、でも今は自分でも栄養面で必要とわかっているのでしぶしぶ食べている。
体にいいといわれたらなんでも食べる長女、話しによると小学校低学年の時はなんと妹は10センで青野菜を自分に食べるようにたのんでいたそうだ・・・一人っ子の私にはとうてい、できなかった事である・・・しかし聞いた時はちょっとショック。
ちゃんと青野菜を食べてたと思っていたのに・・・。(C・S)
新しいジーンズが欲しくてリーバイスのお店に入った。
ラインストーンがあしらわれたのは予算にあわない。
普通の価格帯のは後ろポケットが変な形、ひげ(白いたたみ皺のようなの)が変、わざと破けてたり、なんだか汚く見えるデザインばっかり。
スキニージーンズはけるほど私は細くないし。
店員さんは大勢いたけど、おばさんの私が一生懸命見てても声をかけてこない。結局買わず、年を実感。(Y・Y)
去年はすぐに死んでしまったので、今年は少し慎重に。
金魚は、えさをやる人の顔は覚えるらしく、尾っぽを振って、口をパクパクしながら寄ってる仕草が可愛らしい。
生き物を幼い頃に飼うのと、大人になって飼うのとは、飼い方に違いがあるなあ、と実感している今日この頃だ。(N・T)
青野菜がきらいな次女、でも今は自分でも栄養面で必要とわかっているのでしぶしぶ食べている。
体にいいといわれたらなんでも食べる長女、話しによると小学校低学年の時はなんと妹は10センで青野菜を自分に食べるようにたのんでいたそうだ・・・一人っ子の私にはとうてい、できなかった事である・・・しかし聞いた時はちょっとショック。
ちゃんと青野菜を食べてたと思っていたのに・・・。(C・S)
新しいジーンズが欲しくてリーバイスのお店に入った。
ラインストーンがあしらわれたのは予算にあわない。
普通の価格帯のは後ろポケットが変な形、ひげ(白いたたみ皺のようなの)が変、わざと破けてたり、なんだか汚く見えるデザインばっかり。
スキニージーンズはけるほど私は細くないし。
店員さんは大勢いたけど、おばさんの私が一生懸命見てても声をかけてこない。結局買わず、年を実感。(Y・Y)
旅
皆さんは今までに、どこへどんな旅をしてきたでしょうか。
旅の目的や場所、方法等は、個々の好みにより、幾通りにもなります。
私のそれらは、例えば、島や大陸の端っこや史跡探訪に、本と小さなスケッチブックを持って出かけるのが基本パターンです。
東欧からトルコにかけて政情不安定だったため、イギリスにいた頃は、ユーラシア大陸の西岸に沿った国々と英国内しか巡れませんでしたが、大陸の反対に来て、ようやく人心地ついた今は、マレーシア内外の’兵どもが夢の跡’や世界遺産、昔の豪商が残した建築物等へ、文字通り「見と学」をしに、時間を作っては出かけるようにしています。
ここ2年程に訪れた「見+学の旅、アセアン版」で、特に印象が強い三ヶ所をご紹介します。
一つ目は「カンチャナブリ」。
泰緬鉄道建設にまつわる話は良く知られていますが、旧日本軍の通訳が、復員後数年して、カンチャナブリに戻り、亡くなった人々の慰霊のため僧侶になったことや、それをサポートした多くのタイの人々の話、連合軍のPOWが造った橋を、米軍が破壊したため、現在のものは、全く別の所に、タイ政府が架けたものであることは、現地へ行って初めて知りました。
川岸の資料館は、広島や長崎の資料館を髣髴とさせ、一帯はそのまま「息をしているモニュメント」で、「学ばれない歴史は繰り返す」が警告するように、身近な子供たちに「繰返してはならない史実」を語り継ぐ必要性と大切さを、改めて思いました。
ちなみに正しい呼称は「クウェイ河」です。
次は「黄金の三角地帯」。
「雲南省の色が濃く、ラオスに上陸でき、ミャンマーらしくないカジノを望める場所」という情報に魅かれ、「何はともあれ見てみたい」と、チェンマイから行ってきました。
メコンの滔々とした流れを見ながらの「下ればサイゴン、上れば雲南省」と言う案内に、「河」の字を使う理由やメコン河の長さ、「大陸」の意味を改めて考えました。
河に堰や検問があるでなし、確かに、昔は芥子や人を運ぶのにさぞ便が良かっただろうと、得心もしました。
近くにあるメイサイは、タイ最北端で、何千キロもあるミャンマーとの国境に、ほころびのように開けられた入管がある町です。
この一帯は、以前のチーク材や芥子に代わった「ジャパ行きさん」の産地として、すっかり有名になりました。
日本人男性好みに目鼻立ちが整った、少数民族の少女等が、この「三角地帯」から台湾や香港などへも「輸出」されていると、ある本で読みました。
三つ目はミャンマー。
彼の国が一番暑いGWの頃に、「ビルマの竪琴の映画に出ていた寝釈迦仏と、世界屈指の大きさのダイヤモンドが奉納され、金箔が幾重にも張られて『燻し金』に光るパゴダを見においで」と言った知人に会いに訪れました。
シュウェダゴンパゴダで、参詣の人と一緒に座り込んだまま、日の入りを眺めていた、あのゆったりとした時間と、刻々と変わる景色には、「えも言われぬ」素晴らしさがありました。
パゴダという人造物と自然界の色や営み相まって作り出していた、あたり一面の空間と美は、人を謙虚にさせると同時に、「あの時刻のあの場所に、再び行ってみたい」と思わせるに十分なものがありました。
軍事政権だからと、怖がられていますが、素朴で「心」が伴った仏教徒が多いミャンマーは、アセアン諸国の観光地の中では比較的無難で、訪れた人の心を温かくしてくれる国ではないかと思います。
おまけ話:寺院では、一面の「焼け石」大理石の境内を、ほんの僅かな日陰から日陰へと、爪先立ちで跳ねるように小走りし、その無礼をお詫びしながらの、珍しい見学となりました。
スローライフの国ミャンマーは、どなたにもお勧めの、癒しの地です。
これから訪れてみたい先も、例えばボルネオやユーラシアの突端や世界遺産、ベトナムやチベット鉄道等々たくさんあります。
「自然と時間と空間」を味わう一期一会の旅です。
それらを通して、自分の中の「引き出し」を増やし、中身の充実も図れたらと考えています。
せっかくの、自然界と過去からの「贈り物」が、手を伸ばせば届く所にあるのですから、与えられたチャンスを無にしないように。
最後に航空券について。
近頃は、MAS/MATTAフェアーに出てくるものも、以前と異なり、付随の規定を考慮すると、通常料金のものの方が、安かったり、使い勝手が良い場合が多いです。
そこで、フェアーに出たものを購入する際には、コンファームから24時間以内の発券や、その後の返金が無いこと、発券後の変更は同じものをもう1枚を買うに等しいことを考慮に入れ、「使い勝手の良し悪し」を、十分確認してから判断してください。
また、航空券価格は、是非、「燃料費と運賃の合算」での比較を、お勧めします。
旅の目的や場所、方法等は、個々の好みにより、幾通りにもなります。
私のそれらは、例えば、島や大陸の端っこや史跡探訪に、本と小さなスケッチブックを持って出かけるのが基本パターンです。
東欧からトルコにかけて政情不安定だったため、イギリスにいた頃は、ユーラシア大陸の西岸に沿った国々と英国内しか巡れませんでしたが、大陸の反対に来て、ようやく人心地ついた今は、マレーシア内外の’兵どもが夢の跡’や世界遺産、昔の豪商が残した建築物等へ、文字通り「見と学」をしに、時間を作っては出かけるようにしています。
ここ2年程に訪れた「見+学の旅、アセアン版」で、特に印象が強い三ヶ所をご紹介します。
一つ目は「カンチャナブリ」。
泰緬鉄道建設にまつわる話は良く知られていますが、旧日本軍の通訳が、復員後数年して、カンチャナブリに戻り、亡くなった人々の慰霊のため僧侶になったことや、それをサポートした多くのタイの人々の話、連合軍のPOWが造った橋を、米軍が破壊したため、現在のものは、全く別の所に、タイ政府が架けたものであることは、現地へ行って初めて知りました。
川岸の資料館は、広島や長崎の資料館を髣髴とさせ、一帯はそのまま「息をしているモニュメント」で、「学ばれない歴史は繰り返す」が警告するように、身近な子供たちに「繰返してはならない史実」を語り継ぐ必要性と大切さを、改めて思いました。
ちなみに正しい呼称は「クウェイ河」です。
次は「黄金の三角地帯」。
「雲南省の色が濃く、ラオスに上陸でき、ミャンマーらしくないカジノを望める場所」という情報に魅かれ、「何はともあれ見てみたい」と、チェンマイから行ってきました。
メコンの滔々とした流れを見ながらの「下ればサイゴン、上れば雲南省」と言う案内に、「河」の字を使う理由やメコン河の長さ、「大陸」の意味を改めて考えました。
河に堰や検問があるでなし、確かに、昔は芥子や人を運ぶのにさぞ便が良かっただろうと、得心もしました。
近くにあるメイサイは、タイ最北端で、何千キロもあるミャンマーとの国境に、ほころびのように開けられた入管がある町です。
この一帯は、以前のチーク材や芥子に代わった「ジャパ行きさん」の産地として、すっかり有名になりました。
日本人男性好みに目鼻立ちが整った、少数民族の少女等が、この「三角地帯」から台湾や香港などへも「輸出」されていると、ある本で読みました。
三つ目はミャンマー。
彼の国が一番暑いGWの頃に、「ビルマの竪琴の映画に出ていた寝釈迦仏と、世界屈指の大きさのダイヤモンドが奉納され、金箔が幾重にも張られて『燻し金』に光るパゴダを見においで」と言った知人に会いに訪れました。
シュウェダゴンパゴダで、参詣の人と一緒に座り込んだまま、日の入りを眺めていた、あのゆったりとした時間と、刻々と変わる景色には、「えも言われぬ」素晴らしさがありました。
パゴダという人造物と自然界の色や営み相まって作り出していた、あたり一面の空間と美は、人を謙虚にさせると同時に、「あの時刻のあの場所に、再び行ってみたい」と思わせるに十分なものがありました。
軍事政権だからと、怖がられていますが、素朴で「心」が伴った仏教徒が多いミャンマーは、アセアン諸国の観光地の中では比較的無難で、訪れた人の心を温かくしてくれる国ではないかと思います。
おまけ話:寺院では、一面の「焼け石」大理石の境内を、ほんの僅かな日陰から日陰へと、爪先立ちで跳ねるように小走りし、その無礼をお詫びしながらの、珍しい見学となりました。
スローライフの国ミャンマーは、どなたにもお勧めの、癒しの地です。
これから訪れてみたい先も、例えばボルネオやユーラシアの突端や世界遺産、ベトナムやチベット鉄道等々たくさんあります。
「自然と時間と空間」を味わう一期一会の旅です。
それらを通して、自分の中の「引き出し」を増やし、中身の充実も図れたらと考えています。
せっかくの、自然界と過去からの「贈り物」が、手を伸ばせば届く所にあるのですから、与えられたチャンスを無にしないように。
最後に航空券について。
近頃は、MAS/MATTAフェアーに出てくるものも、以前と異なり、付随の規定を考慮すると、通常料金のものの方が、安かったり、使い勝手が良い場合が多いです。
そこで、フェアーに出たものを購入する際には、コンファームから24時間以内の発券や、その後の返金が無いこと、発券後の変更は同じものをもう1枚を買うに等しいことを考慮に入れ、「使い勝手の良し悪し」を、十分確認してから判断してください。
また、航空券価格は、是非、「燃料費と運賃の合算」での比較を、お勧めします。
私の出産@マレーシア
これから妊娠、出産を控えているまじゃ会会員の方に読んでもらえたらと思いこの題で私の思いを伝えたいと思います。
マレーシア来て直ぐに働き始め仕事も持っていたので、日本ヘ帰国しての出産は考えていませんでした。
妊娠が解ってからは、色んな本を読んだり、出来る限りの人からアドバイスを貰うよう努めました。
職場では、マレー人やチャイニーズの同僚らと分娩の話になると、一概には言えませんが、マレー人は自然分娩が多く、チャイニーズは自然分娩で産めるのに、痛みへの恐怖から帝王切開を選ぶ意見が多かったように思います。
私自身は自然分娩を望んでいるもののそれ以上特に他の希望も無かったのですが、運良くまじゃ会メンバーの奥津さんからのお勧めで「分娩台よ、さようなら」と言う本を紹介してもらい、
借りたその日に一気に読み上げその日から、私の「出産」に対する考えが180度変わってしまいました。
医療介入のない、自然分娩について書かれた本なのですが、私も「アクティブバースで赤ちゃんを産みたい」と思うようになり、
その時かかっていた先生からマレーシアでアクティブバースが出来るという先生に変え、
日々時間を見つけては安産の準備として散歩をしました。
そして、出産の日。
陣痛がきてからも、主人に支えられながら病院内を歩き痛みをまぎらわせ、分娩台は使わず、初産でも会陰切開する事も無く立った状態で自然に出産する事ができました。
去年産まれた二人目はしゃがんだ状態で産みました。
先生もしゃがんだ状態が足を広げる格好となり産み易くなったといいます。
子育てはまだまだこれからなので、まじゃ会の先輩にアドバイスをもらっていきたいと思っていますが、
マレーシアで出産を経験した私からいえる事は、産むのは母親である自分なので、
どうしたいか自分の考えを持ち、できる限りの知識を得る事だと思います。
知識を得れば不安も無くなりお産が楽になります。
子供を産むというのは何十回と経験出来る事では無いので自分が納得のいくものになればいいですよね。
マレーシア人と結婚した私達は、出産も子育てもマレーシアでという機会の方が多いと思います。
これからも、まじゃ会を通して色んな意見や情報交換しながら頑張っていきましょう!
(まじゃ会会員 R・Uさん)
マレーシア来て直ぐに働き始め仕事も持っていたので、日本ヘ帰国しての出産は考えていませんでした。
妊娠が解ってからは、色んな本を読んだり、出来る限りの人からアドバイスを貰うよう努めました。
職場では、マレー人やチャイニーズの同僚らと分娩の話になると、一概には言えませんが、マレー人は自然分娩が多く、チャイニーズは自然分娩で産めるのに、痛みへの恐怖から帝王切開を選ぶ意見が多かったように思います。
私自身は自然分娩を望んでいるもののそれ以上特に他の希望も無かったのですが、運良くまじゃ会メンバーの奥津さんからのお勧めで「分娩台よ、さようなら」と言う本を紹介してもらい、
借りたその日に一気に読み上げその日から、私の「出産」に対する考えが180度変わってしまいました。
医療介入のない、自然分娩について書かれた本なのですが、私も「アクティブバースで赤ちゃんを産みたい」と思うようになり、
その時かかっていた先生からマレーシアでアクティブバースが出来るという先生に変え、
日々時間を見つけては安産の準備として散歩をしました。
そして、出産の日。
陣痛がきてからも、主人に支えられながら病院内を歩き痛みをまぎらわせ、分娩台は使わず、初産でも会陰切開する事も無く立った状態で自然に出産する事ができました。
去年産まれた二人目はしゃがんだ状態で産みました。
先生もしゃがんだ状態が足を広げる格好となり産み易くなったといいます。
子育てはまだまだこれからなので、まじゃ会の先輩にアドバイスをもらっていきたいと思っていますが、
マレーシアで出産を経験した私からいえる事は、産むのは母親である自分なので、
どうしたいか自分の考えを持ち、できる限りの知識を得る事だと思います。
知識を得れば不安も無くなりお産が楽になります。
子供を産むというのは何十回と経験出来る事では無いので自分が納得のいくものになればいいですよね。
マレーシア人と結婚した私達は、出産も子育てもマレーシアでという機会の方が多いと思います。
これからも、まじゃ会を通して色んな意見や情報交換しながら頑張っていきましょう!
(まじゃ会会員 R・Uさん)
2007年度新年会の報告
今年の新年会は3月9日、金曜日、日本人会の第一ホールで開催しました。
スクールホリデー中の平日ではありましたが、大勢の皆様の参加をいただき、第一ホールがテーブルでぎっしりうまりました。
ディナーはケータリングで洋食と、日本人会会館内の日馬和里からいなり寿司、巻き寿司、鉄火巻の出前をとりました。
ケータリング業者は料理だけでなくテーブル上をきれいに飾りつけてくれ、華やかな雰囲気でした。
お料理もなかなか美しかったのですが、食べ盛りの子供たちのパワーであっという間になくなってしまいました。
食事がひと段落ついたころ、既に恒例となった、会員さんのご主人のマジックショーが始まりました。
平日なので準備に時間が取れなかったそうですが、いえいえ、紐が切れたりつながったり、切れ目のない金属の輪が鎖になったり、不思議の連続!
子供も大人も見破ってやろうと必死で見ていましたが、全然わかりません。
拍手喝さいでした。
次に子供教室の子供たちが歌を披露してくれました。
なかなかそろって練習する時間も無かったでしょうが、中国語の新年の歌まで歌ってくれたのには感心しました。
そして、ゲームです。
豆の箸つまみゲームでは、つるつるすべる小さいお豆を箸でつまんでお皿からお皿に移します。
優勝者はTさんでした。
枝豆早食い競争も白熱し、手のひらに豆を全部出して一気に口に入れる手法で、Mさんが優勝しました!
最後に一人一つずつ持ち寄ったプレゼントを交換しました。
テーブルや椅子の片付け、床にこぼれたお水を拭いたりと、皆様にご協力いただきまして感謝いたします!
スクールホリデー中の平日ではありましたが、大勢の皆様の参加をいただき、第一ホールがテーブルでぎっしりうまりました。
ディナーはケータリングで洋食と、日本人会会館内の日馬和里からいなり寿司、巻き寿司、鉄火巻の出前をとりました。
ケータリング業者は料理だけでなくテーブル上をきれいに飾りつけてくれ、華やかな雰囲気でした。
お料理もなかなか美しかったのですが、食べ盛りの子供たちのパワーであっという間になくなってしまいました。
食事がひと段落ついたころ、既に恒例となった、会員さんのご主人のマジックショーが始まりました。
平日なので準備に時間が取れなかったそうですが、いえいえ、紐が切れたりつながったり、切れ目のない金属の輪が鎖になったり、不思議の連続!
子供も大人も見破ってやろうと必死で見ていましたが、全然わかりません。
拍手喝さいでした。
次に子供教室の子供たちが歌を披露してくれました。
なかなかそろって練習する時間も無かったでしょうが、中国語の新年の歌まで歌ってくれたのには感心しました。
そして、ゲームです。
豆の箸つまみゲームでは、つるつるすべる小さいお豆を箸でつまんでお皿からお皿に移します。
優勝者はTさんでした。
枝豆早食い競争も白熱し、手のひらに豆を全部出して一気に口に入れる手法で、Mさんが優勝しました!
最後に一人一つずつ持ち寄ったプレゼントを交換しました。
テーブルや椅子の片付け、床にこぼれたお水を拭いたりと、皆様にご協力いただきまして感謝いたします!

